曹叡の体調は悪化の一途を辿っていた。軍の統率権を奪われた司馬懿は、官職を辞すると共に、部下の職も解き、静?と結婚する。曹叡は間もなく亡くなり、曹芳が即位する。静?が難産で亡くなり、司馬懿は悲しみのあまり脳卒中を起こす。司馬懿と対立していた曹爽は喜び、曹芳に付き添って高平陵へ参拝に […]
突然の雨によって諸葛亮の計略は失敗に終わってしまう。死期を悟った諸葛亮は、姜維と楊儀に後のことを託し、馬岱には謀反の気配がある魏延の排除を命じる。建興13年、諸葛亮は志半ばにして五丈原で亡くなる。魏延が蜀軍を指揮し始めるが、馬岱は諸葛亮の遺言通り、これを斬る。司馬懿は、諸葛亮の死 […]
木牛流馬を奪われた蜀の陣営では、兵糧が底を尽きかけていた。諸葛亮は王平に命じて、わずかな兵で奇襲させ、司馬懿から兵糧を奪うことに成功する。反撃を目論む司馬懿は、蜀軍が兵糧の守りに精鋭を就かせていることに目をつけ、まず本営を攻め、兵糧を守っている兵が援軍に向かって手薄になった隙をつ […]
年老いた諸葛亮が再び北伐に乗り出すのを見送りながら、劉禅は二度と会えないかもしれぬと悲しむ。魏延のもとに魏軍の鄭文という将が投降してくる。鄭文の話を信用し、魏延は馬岱と共に北原へと向かうが、伏兵に襲われる。諸葛亮はすべて司馬懿の策略だと見抜き、魏延らを救出する。諸葛亮は、魏延と馬 […]
諸葛亮は奇門八卦の布陣を用いて司馬懿を愕然とさせる。やみくもに戦った魏軍は大敗。しかし、兵糧運搬係の苟安が酒に溺れて職務を怠ったため、諸葛亮は追撃をあきらめるしかなかった。苟安が李厳の甥であることを鑑みて、諸葛亮は処罰を軽減する。蜀に戻る途中、苟安は生け捕りにされ、司馬懿から偽の […]
病にかかった諸葛亮は、漢中への撤退を決意。陳倉だけは残すという魏延の提案も却下し、攻めとった城をすべて捨て去る。蜀軍の撤退を知った曹真は大喜びで多くの城を奪い返し、その功績を皇帝から讃えられる。しかし、蜀軍を撤退させたのは諸葛亮の策略だった。低地である陳倉に曹真を誘い込み、長雨に […]
大都督となった司馬懿は、厳しい軍令を下して軍紀の乱れを正すことに務める。守りに徹する司馬懿の作戦を見抜いた諸葛亮は、武都と陰平を攻め、援軍を誘い出すように魏延に指示。司馬懿を待ち受けて攻撃しようとする諸葛亮だが、司馬懿の用心深さは予想以上だった。なんとしても司馬懿をおびき寄せたい […]
趙雲死去の知らせが伝わり、諸葛亮は悲嘆にくれる。しかし、曹休が石亭で敗れたことを知った諸葛亮は、再度北伐を始め、陳倉城を攻める。曹叡は、曹真に喝を入れるため、蜀軍の迎撃を命じる。?昭の必死の抵抗により、苦戦を強いられていた蜀軍だが、曹真が陳倉近くで陣を構えたことを知り、曹真の裏を […]
司馬懿は西城に進軍するが、城門を開け放して琴を奏でる諸葛亮を見て、伏兵が潜んでいると判断して退却する。諸葛亮のもとに、街亭を失った馬謖と王平が現れる。趙雲ら老将軍たちがかばう中、諸葛亮は軍の規律を守るため、泣く泣く馬謖の処刑を命じるのだった。諸葛亮も自らの進退を劉禅に問い、降格と […]
司馬懿の陣営に戦友の申儀が訪ねて来て、孟達が蜀に寝返り、魏王を洛陽で生け捕りにしようとしていると知らせる。驚いた司馬懿は急いで新城に向かい、孟達の首を取り、曹叡に献上。曹叡は感動して軍の指揮権を司馬懿に委ねる。蜀の陣営では、馬謖が要所である街亭の守備を志願していた。諸葛亮は王平を […]
諸葛亮の北伐を知った曹叡は、老臣王朗の反対を無視して夏侯楙を大都督に任命する。諸葛亮が雍涼を通って進軍すると読んでいた司馬懿は、戦いに備えて密かに増兵していたが、それが朝廷に漏れ、あらぬ疑いをかけられる。結局、司馬懿は曹叡に職を解かれ、故郷に追いやられてしまう。司馬懿のいない魏軍 […]
諸葛亮は馬謖を孫権のもとへと派遣し、連立の約束を取り付ける。魏の攻撃を撤退させることに成功した諸葛亮だったが、まだ無名だった司馬懿に警戒を強める。曹丕は、司馬懿が止めるのも聞かず、自ら軍を率いて出陣するが、呉と蜀の連合軍に大敗。持病が悪化し、司馬懿に曹叡の補佐をするようにと言い残 […]
諸葛亮は諸葛瑾に、蜀とは敵対しないようにとの陸遜への伝言を託す。劉備は臨終の際に諸葛亮を呼び、蜀の今後と息子の劉禅を託しながら息を引き取るのだった。劉備の死を知った孫権は、関羽と張飛の死で恨みを買っていた劉備が亡くなったことで、蜀と再び敵対することがなくなるだろうと喜ぶ。その頃、 […]
諸葛亮は、趙雲に劉備を救って白帝城へ向かうように、馬謖には魚腹浦で八卦の陣を布いて時間稼ぎするように、と命じる。諸葛亮の予想通り、陸遜の火攻めに遭って大敗した劉備は白帝城に逃げ込み、諸葛亮や劉禅を呼び寄せる。その頃、曹丕が隙をついて荊州を狙っていたが、孫権はそれを見破っていた。劉 […]
諸葛亮は馬謖に託して手紙を劉備に届けさせる。手紙には、兵法に通じている陸遜に対する注意が書かれていたが、進攻を続ける劉備の決意は変わらなかった。蜀軍では、水源が枯渇し、汚水を飲んで疫病にかかる者が続出。劉備は全軍を山林の谷川付近に移動させる。それを知った陸遜は、蜀軍を火攻めにでき […]
富池口で呉軍は大敗し、老将程普も矢に当たって絶命する。一方、蜀の勝利の立役者、黄忠も帰らぬ人となり、劉備は呉の攻略を胸に誓い、呉の最後の砦である夷陵に迫る。孫権は陸遜を大都督に任命し、軍を統率させるが、蜀軍の猛攻は止まらず、呉軍は続けざまに数十の砦を攻め落とされる。陸遜は韓当たち […]
劉備に攻め込まれた孫権は、諸葛瑾の勧めもあり、曹丕に帰順する。曹丕もこの上奏を受け入れ、孫権を呉王に封じる。孫桓が夷陵に留まっていることを知った劉備は、関興に出陣を命じる。呉の援軍をおびき寄せて奇襲するのが劉備の企みだったが、孫権は程普が止めるのも聞かず、援軍を送ることを決めてし […]
張飛を失った劉備は、霊前で呉を伐つことを誓い、70万の大軍を率いて出陣する。呉討伐に反対していた諸葛亮は徐々に発言力を失い始める。孫権は孫桓にシ帰を守らせ、膠着状態に持ち込もうとするが、張飛の息子張苞、関羽の息子関興の猛攻に耐えられず、シ帰城はわずか数時間で陥落する。孫権は諸葛瑾 […]
建安26年、劉備は旧蜀臣の李厳の助言を受けて皇帝に即位する。劉備はまず呉討伐の詔を発するが、趙雲と諸葛亮に止められる。呉討伐が見送られたことを知った張飛は激怒するが、劉備になだめられる。酒浸りとなった張飛は、部下に無茶な命令を下しては鞭を打って罰するという傍若無人な振る舞いを続け […]
司馬懿に迫られ、ついに漢献帝は曹丕に帝位を明け渡す。漢を滅ぼしてしまったことの責任を感じた漢献帝は、許都から去る際、自分の乗った船に穴を空けて沈没させるのだった。関羽に続いて、漢献帝も失った劉備は、漢復興の夢が潰えたと悲しみに暮れる。漢献帝の葬儀の日、劉備の臣下たちは、曹丕に対抗 […]