盤山に到着した一行は手分けして宝の在り処を探す。その晩、皆が成果を報告している時、韋青花(いせいか)が位牌の後ろから鍵を盗み出していた。動きを読んでいた弘暦たちは、彼女を殺し、のろしを上げて待機していた蘇千?をおびき出す。
中秋節の夜、若曦は一緒に酒を酌み交わした第十三皇子から、皇子の後継者争いには関わらないように忠告される。 ところが翌日、第四皇子が康熙帝により皇太子を陥れた罪を追及される。すべては第八皇子一派の企みだと悟った第十三皇子は自ら罪をかぶり、康熙帝より軟禁を命じられる。
亡き陳世?の側女・梅蓮英(ばいれんえい)を訪ねた黒虎(こくこ)たちは、彼女が弘暦の実母だと確信する。梅蓮英が天成寺(てんせいじ)に送った手紙には夫が預けた物を燃やせとあった。廉親王の指示で黒虎は梅家の使いと偽り天成寺へ赴く。
ケンカしていた第十皇子と明玉は意地を張るばかりで、もはやお互い引くに引けぬ状況に悪化、激怒した第十皇子は明玉を離縁するとまで言い放つ。そこで若曦は、康熙帝に2人の離縁話を伝え、康熙帝もこれを承諾したと第十皇子たちにウソをつく。
弘暦は巡察の名目で盤山行きを決める。蘇閣主の手下に忠告された李聡は、弘暦に不敬を詫び同行を許された。だが到着した天津では、徐神父、更には弘暦さえ何者かの拉致に遭う。実はすべて弘暦の計画の一部であった。
重臣たちが皇太子の即位を扇動しようとした件が事実と判明し、皇太子派の重臣らは処刑、皇太子は関与を否定し罪は逃れたものの康熙帝の失望の色は大きかった。 これにより若曦と皇太子の縁談話も現実味がなくなったため、若曦は暗に結婚してもいいと第四皇子に告げる。
弘暦は田田と2人きりで話し合う。だが互いの溝は埋まらぬままだった。李聡は田田と葉滄雲を救うため、夜半に皇帝の書斎に忍び込む。阿片の解毒法が書かれた処方箋を盗み出すと、田田に渡し彼女を解放した。だが運悪く、その場面を皇太后に目撃されて軟禁処分を受ける。
康熙帝から不正の件を追及されずに済んだ第九皇子は憂さ晴らしに酒楼で出くわした緑蕪にからみ始める。 そこへ第十四皇子が止めに入り事なきを得るが、後日 騒動を知った第十三皇子は第九皇子への怒りが収まらなかった。
葉滄雲と田田に3日間の新婚生活を認めた弘暦は、期日が来ると逮捕の命を出す。2人は夫婦を装い逃走を始めるが兄妹の関係でいると約束する。弘暦と密会した葉滄雲は田田の気持ちを伝えようとするが、弘暦は話を聞かず身を引く。
塞外遠征も終わりを迎え、若曦は康熙帝や皇子たちの前で敏敏による舞いを披露する。 そして若曦との約束に応えるため、第十三皇子が笛の音色を敏敏に披露し、敏敏の淡い恋はここで終わるのだった。 塞外から戻った康熙帝の元に災害復興の金が大勢の官吏によって着服されているという由々しき知らせが […]
葉滄雲は廉親王に弘暦とは敵対したため身を寄せたいと申し出る。廉親王は葉滄雲の忠誠心を試すため、乾清宮へ地図を盗みに入るよう指示するが、葉滄雲は待ち伏せていた弘暦に見つかりお尋ね者になってしまう。
またも塞外遠征が決まるが、この度は第十四皇子も遂行することになり、敏敏に恋人を偽ってかくまわせたことがバレるのではと若曦は気が気でなかった。 敏敏は若曦を見つけ、第十三皇子の気持ちを聞き出そうとするが、第十三皇子にその気はないと知った敏敏はショックを受ける。
幇派解散命令は塩幇も例外ではなかった。弘暦がついに塩幇抹殺を決断したと考えた宋幇主は、我が身を犠牲にして仲間を守る方法を思いつく。そして発見された幇主の遺体。葉滄雲らは当初、弘暦の犯行を疑ったが、その真相は意外なものだった。
若曦が明慧・明玉にくってかかるところを目撃した第四皇子は、風邪をひいた若曦のために、手製の鼻煙壺を贈る。 一方の若曦はいつまでも第八皇子を待たせていることで第十四皇子に詰め寄られるが、第四皇子、第十三皇子の助け舟で事なきを得る。
廉親王が弘昼を殺してしまった。謀反には廉親王も加担していたはずだが、証拠もなく捕まえることはできない。その頃、葉滄雲と宋知庸は塩幇の将来を憂慮していた。塩幇は皇室の秘密について多くを知り過ぎたからだ。しかし弘暦は塩幇を必ず守ると約束する。
塞外で第八皇子と幸せな時間を過ごしていた若曦だったが、第八皇子の記した異動名簿に将来第四皇子の重臣となる人物の名前を見つける。 不安にかられた若曦は結婚するのなら皇位を諦めてほしいと第八皇子に懇願するが、皇位への野心を捨てられない第八皇子は、自分の運命は自分で決めたいと若曦に告げ […]
朝廷に復帰した弘暦は弘昼を罰すると、軟禁されている宋幇主を助ける策を立てて寂静山荘に向かう。一方、龍脈の地図を盗んで山荘から姿を消した李聡は蘇千?に地図を渡す。地図が偽物であることを知らない蘇千?は、反清復明を企む真の理由を李聡に教える。
弘暦は手に入れた5枚の地図を組み合わせ、残りの地図の在り処についてある重要なヒントを得た。そんな折、水害により被災した民に朝廷が穀物を提供したという情報が入るが、弘暦の元には大臣の張廷玉(ちょうていぎょく)からは何の報告も入っていない。
皇太子の放った矢で負傷した第八皇子は、皇太子に疑いを抱かれないよう太監に熱湯のお茶を腕にかけさせるよう命じ、火傷を負う。 第十四皇子は辛抱強く蒙古王の令嬢の相手をしていたが、皇太子が曲者の捜索を諦めた頃を見計らって無事に都に戻る。
弘暦は龍脈の地図を失ったうえ、高五にも逃げられて毒消しの望みが絶たれた。田田らがすぐに高五と地図の行方を追ったが、途中で葉大侠が蘇閣主に襲われて消息を断つ。その葉大侠を捜しに出た田田も敵にさらわれた。