盤山に到着した一行は手分けして宝の在り処を探す。その晩、皆が成果を報告している時、韋青花(いせいか)が位牌の後ろから鍵を盗み出していた。動きを読んでいた弘暦たちは、彼女を殺し、のろしを上げて待機していた蘇千?をおびき出す。
亡き陳世?の側女・梅蓮英(ばいれんえい)を訪ねた黒虎(こくこ)たちは、彼女が弘暦の実母だと確信する。梅蓮英が天成寺(てんせいじ)に送った手紙には夫が預けた物を燃やせとあった。廉親王の指示で黒虎は梅家の使いと偽り天成寺へ赴く。
弘暦は巡察の名目で盤山行きを決める。蘇閣主の手下に忠告された李聡は、弘暦に不敬を詫び同行を許された。だが到着した天津では、徐神父、更には弘暦さえ何者かの拉致に遭う。実はすべて弘暦の計画の一部であった。
弘暦は田田と2人きりで話し合う。だが互いの溝は埋まらぬままだった。李聡は田田と葉滄雲を救うため、夜半に皇帝の書斎に忍び込む。阿片の解毒法が書かれた処方箋を盗み出すと、田田に渡し彼女を解放した。だが運悪く、その場面を皇太后に目撃されて軟禁処分を受ける。
葉滄雲と田田に3日間の新婚生活を認めた弘暦は、期日が来ると逮捕の命を出す。2人は夫婦を装い逃走を始めるが兄妹の関係でいると約束する。弘暦と密会した葉滄雲は田田の気持ちを伝えようとするが、弘暦は話を聞かず身を引く。
葉滄雲は廉親王に弘暦とは敵対したため身を寄せたいと申し出る。廉親王は葉滄雲の忠誠心を試すため、乾清宮へ地図を盗みに入るよう指示するが、葉滄雲は待ち伏せていた弘暦に見つかりお尋ね者になってしまう。
幇派解散命令は塩幇も例外ではなかった。弘暦がついに塩幇抹殺を決断したと考えた宋幇主は、我が身を犠牲にして仲間を守る方法を思いつく。そして発見された幇主の遺体。葉滄雲らは当初、弘暦の犯行を疑ったが、その真相は意外なものだった。
廉親王が弘昼を殺してしまった。謀反には廉親王も加担していたはずだが、証拠もなく捕まえることはできない。その頃、葉滄雲と宋知庸は塩幇の将来を憂慮していた。塩幇は皇室の秘密について多くを知り過ぎたからだ。しかし弘暦は塩幇を必ず守ると約束する。
朝廷に復帰した弘暦は弘昼を罰すると、軟禁されている宋幇主を助ける策を立てて寂静山荘に向かう。一方、龍脈の地図を盗んで山荘から姿を消した李聡は蘇千?に地図を渡す。地図が偽物であることを知らない蘇千?は、反清復明を企む真の理由を李聡に教える。
弘暦は手に入れた5枚の地図を組み合わせ、残りの地図の在り処についてある重要なヒントを得た。そんな折、水害により被災した民に朝廷が穀物を提供したという情報が入るが、弘暦の元には大臣の張廷玉(ちょうていぎょく)からは何の報告も入っていない。
弘暦は龍脈の地図を失ったうえ、高五にも逃げられて毒消しの望みが絶たれた。田田らがすぐに高五と地図の行方を追ったが、途中で葉大侠が蘇閣主に襲われて消息を断つ。その葉大侠を捜しに出た田田も敵にさらわれた。
莫争名は客人の正体が弘暦たちであることに気づく。殺されそうになった弘暦をかばった田田は死を目前にして、ついに弘暦に愛を告げた。駆けつけた宋知庸により難を逃れた弘暦らは、莫争名が雍正帝を憎んできた理由を聞く。
猛毒から一命を取り留めた弘暦は、龍脈の地図の文字から導き出した詩の意味を解明するため、康熙帝がかつて参拝した独楽寺(どくらくじ)へ出向き、燭台から新たな地図の断片を発見する。1句につき1枚の地図があると気づいた弘暦たちの地図探しが始まる。
莫争名に襲われた弘暦たちは何とかその場を逃げ出すが、暗器を受けた弘暦は毒に侵され意識を失う。葉大侠は「洗髄経」を使って解毒を試みようとするが、莫争名が塩幇の宋幇主を訪ねていた機に乗じ、高五が盗み出してしまう。
李聡は20歳の誕生日を迎えたものの、誰からも祝ってもらえずに落ち込んでいた。すると弘暦に凧と飴で温かく祝福され、翌日には、ひそかに思いを寄せる閣主から1日遅れの贈り物をもらう。だが閣主の祝福は同時に過酷な命令でもあった。
都を出た弘暦は財宝の在り処を求めて塩幇を訪ねる。一行は徐(じょ)神父の推理に基づき、財宝が隠されたと思われる盤山(ばんさん)へ向かった。しかし途中で高五の手勢と明月閣の襲撃を受ける。塩幇に残った宋知庸は財宝を巡るかつての出来事を思い出していた。
雍正帝が崩御し乾隆帝(けんりゅうてい)となった弘暦。町には満州族を追い出せという明月閣の掲示があふれるが、民心がなびくことはなかった。そんな中、弘暦は町で慧珠(けいじゅ)という娘を助け宋知庸に紹介する。
熹貴妃に招かれて田田と李聡は皇宮に向かう。皇帝に恨みを抱く田田は気乗りしないが、李聡になだめられる。一方、世間を騒がせている呂四娘の正体を確かめたい雍正帝は、ある策を講じていた。雍正帝の思惑どおり田田は騒ぎを起こして兵に捕まってしまう。
官吏を次々と斬り捨てる女賊・呂四娘(りょしじょう)に都は戦々恐々としていた。ある日、高五は彼女が弘暦の屋敷に入り込むのを目撃する。廉親王はこれを利用して弘暦を陥れることにした。
都へ来た宋幇主一行は弘暦の屋敷で歓待を受ける。雍正帝から弘暦を助けた褒美として財宝が下賜されたが、田田だけは浮かない顔をしていた。弘暦は弘昼の棺にすがり弟の死を悼む。すると死んでいるはずの弘昼が涙を流した。