昏睡状態から目覚めた雍正帝は皇位簒奪を試みた弘昼を厳しく非難する。重罪は免れないと悟った弘昼は廉親王の助言どおり仮死薬で自害を装い生き延びようとする。一方、明月閣に捕らえられた弘暦一行は宋幇主に救出されるが…
龍脈の地図を頼りに洞窟にやってきた弘暦一行だったが、李聡が焚き火に仕掛けた眠り薬で気を失い明月閣に捕らえられる。李遵明は弘暦に皇帝として擁立するので明月閣に入るよう脅すのだった。
陳家の火災、砒霜、消えた死刑囚。この3つをつなぎ合わせた弘暦の名推理により、陳世カンの居所が見つかった。陳は弘暦に龍脈の地図を手渡す。龍脈の仕掛けは愛新覚羅(あいしんかくら)家の子孫しか開けられないため、自ら試せば出自の真相が分かるというのだ。
弘暦・葉大侠・田田は、陳世カンの家で発見された焼死体について調べ始めた。そして進めるうちに焼死体はあらかじめ砒霜で殺された死刑囚だったと判明する。本物の陳一家はどこへ行ったのか。弘暦は高慶喜に李記(りき)豆腐店を見張らせた。
古い人形の中に陳世カン(ちんせいかん)の名が記された血書を発見した弘暦と田田。弘暦は出自の謎を探り、楊公公と王先生を殺害した人物を突き止めるため、田田・葉大侠・李聡を連れて、陳世カン一家が住む武原(ぶげん)の町に行く。
母親の命日に宮廷を訪れて涙にくれる弘昼。弘暦の母・熹貴妃(ききひ)は、廉親王の養子になるよう命じられた弘昼に深く同情し、雍正帝の機嫌を取るため丹薬を献上するよう助言を与える。一方、葉大侠と高慶喜は李乳母の家から盗まれた品を探し当てるが、人形は見つからない。
弘暦が明月閣に捕まった。明月閣は「洗髄経」と身代金、明月閣への公認を要求する。雍正帝が弘暦の救出に尽力する一方、弘昼は皇太子の座を夢見て、期待に胸を膨らませていた。弘暦は李聡の助けを得て脱出を図るも、李遵明に見つかってしまう。
親王に封じられることになった弘暦は、出生を巡る噂の真相を探るため、高慶喜を連れて勝手に海寧(かいねい)へと出かけ、かつての李乳母を訪ねる。乳母は弘暦に思い出の人形を見せるが、その翌日、李乳母は何者かによって殺害され、人形も奪われてしまう。
明月閣に追われていた宋父娘は、危機一髪のところを弘暦に救われる。だが弘暦に裏切られたと反発する宋田田は、さっさと宋知庸を連れ帰京してしまうのだった。弘暦が帰京したことで悪行がばれてしまった弘時は、雍正帝より自害を命じられる。
弘時は都へ向かう弘暦一行を待ち伏せしていた。宋田田は弘時と弘暦の会話から、艾四の正体を知りショックを受ける。葉滄雲はその場を逃れるために、弘暦の心臓を突いて仮死状態に陥らせる。塩幇に戻った葉滄雲は宋知庸と共に弘暦の人柄について語り合う。
塩幇幇主・宋知庸の屋敷に滞在中の弘暦は、宋の養女・田田とますます親密になっていく。一方で屋敷で目にした記録簿などから、宋知庸と康熙帝(こうきてい)の謎のつながりに気づく。宋知庸も弘暦が並みの家柄の人間ではないと悟り、2人の仲を引き裂こうとする。
艾四が塩幇に助けられたと知った弘時は、塩幇へ赴くことを決意。一方、艾四は無事に目を覚ます。高慶喜は弘時に狙われたが弘暦は無事との知らせを送るが、廉親王に握りつぶされてしまう。更に明月閣(めいげつかく)の蘇千王夬(そせんけつ)も李兄妹を伴って塩幇へ向かう。
楊知県により艾四の脱獄は失敗した。だが弘時に扮した李聡(りそう)が楊知県をだまし、艾四と高慶喜を逃がす。弘時は弘暦を殺しそこなった楊知県を激しく叱責した。楊知県は太和県内の警固を固め、弘暦の行方を必死で追う。
太和県(たいわけん)で騒ぎに巻き込まれ、明月会の賊らしき男たちと共に投獄された弘暦は、悪代官の楊知県(ようちけん)が盗賊退治による資金を着服し、一般の民を明月会の賊として次々に捕らえている事実を知る。
罔極寺より盗人扱いされた艾四一行だったが、罔極寺に再び戻ると罔極寺はぼや騒ぎになっていた。弘暦は危険を顧みず火の海に飛び込み「洗髄経」を無事に取り戻す。住職は弘暦に「洗髄経」を貸し出すことを快諾するが、弘暦たちが寺を発ったのち、梁兄弟の兄に殺害される。
「洗髄経(せんずいきょう)」を狙う弘時と廉親王は、それぞれ家臣を遣わし弘暦を追跡させる。また雍正帝も急いで弘暦を連れ戻すよう命令を下した。その頃、都を抜け出した艾四(がいし)(弘暦)は宋田田と再会。葉大侠(ようだいきょう)を紹介してもらう。
雍正帝の指示で呉文斌殺害事件の調査を進める弘暦と弘時。弘時は、容疑者として捕らえた陳六が拷問の末、雍正帝の弟・廉親王に指示されたと自白したことを雍正帝に報告する。一方の弘暦は、呉文斌の屋敷に現れる刺客の女・宋田田と近づく。
時は清朝、雍正帝(ようせいてい)の世、呉文斌(ごぶんひん)という重臣が屋敷で殺されるという難事件が起こる。雍正帝は、この難事件の捜査を3人の息子、弘時(こうし)、弘暦(こうれき)、弘昼(こうちゅう)に命じるのだった。